フィギュアスケート
2009年 07月 07日
フィギュアスケートで安藤美姫という選手がいる。この人はオレなんかよりずーーーーーと若いのだが、やっぱり世界の第一線にいる人だから尊敬してしまう。安藤は感情の起伏が激しいのがすごくわかるので、見ててひやひやしてしまう。が、またそこが魅力でもある。
こないだたしか朝日新聞朝刊で彼女のコメントが出てた。去年の世界選手権で表彰台に上がったものの、反省の弁が書いてあったのがちょっと気になった。
「音楽を身体で表現しただけで終わってしまいました」
むむむ。
どきっとした。
オレは偉そうにこのブログで、オレの理想とするダンスを書いた。DJの流す音にいかに反応して、曲の作り手の思い、そしてDJが今なぜこの曲を選曲したのかの思いを身体で表現できたら最高!って意味のことを書いた。
つまり音楽を上手に身体で表現できるダンサーになりたいと。
ところが、安藤のさっきの言葉。音楽を身体で表現しただけで終わってしまった・・・・・・・・・・・・
しただけって・・・・・。
するだけでも大変なのに・・・・・・。
オレのダンスへの思いのレベルの低さを痛感する。
彼女はいったい何を自分の舞いの中に求めているのだろうか。その答えはその新聞記事には書いてなかった。これすごく重要だと思う。これに気づかない限り、オレみたいな凡人は安藤選手の舞いを理解できない。
自分の感情を、自分を出すことなのだろうか。音楽はこう、だけど、今自分が表現したいことはこう。その自分を出す一つの媒介として音楽が流れている。その音楽の助けを得ながら、自分を出していく、ということなのだろうか。音楽は自分を出すための媒介に過ぎない、ということだろうか。
今シーズンの安藤美姫選手には注目したい。
そして、安藤選手が真に求めている、
「音楽を身体で表現した、その上の境地」
これを感じ取りたい。
2009年7月11日追記
たまたまだと思うけど、なぜか日経新聞の7月8日夕刊スポーツ面にまさに答が出ていた。
「自分の感情が入らないと。私の場合、悲しかったり、うれしかったり、複雑な気持ちがあって、それが勝手に演技に出ている。アスリートとしてはダメだと言われるけど、こうだからこそ人が何かを感じてくれる面もある」
ということでした。
こないだたしか朝日新聞朝刊で彼女のコメントが出てた。去年の世界選手権で表彰台に上がったものの、反省の弁が書いてあったのがちょっと気になった。
「音楽を身体で表現しただけで終わってしまいました」
むむむ。
どきっとした。
オレは偉そうにこのブログで、オレの理想とするダンスを書いた。DJの流す音にいかに反応して、曲の作り手の思い、そしてDJが今なぜこの曲を選曲したのかの思いを身体で表現できたら最高!って意味のことを書いた。
つまり音楽を上手に身体で表現できるダンサーになりたいと。
ところが、安藤のさっきの言葉。音楽を身体で表現しただけで終わってしまった・・・・・・・・・・・・
しただけって・・・・・。
するだけでも大変なのに・・・・・・。
オレのダンスへの思いのレベルの低さを痛感する。
彼女はいったい何を自分の舞いの中に求めているのだろうか。その答えはその新聞記事には書いてなかった。これすごく重要だと思う。これに気づかない限り、オレみたいな凡人は安藤選手の舞いを理解できない。
自分の感情を、自分を出すことなのだろうか。音楽はこう、だけど、今自分が表現したいことはこう。その自分を出す一つの媒介として音楽が流れている。その音楽の助けを得ながら、自分を出していく、ということなのだろうか。音楽は自分を出すための媒介に過ぎない、ということだろうか。
今シーズンの安藤美姫選手には注目したい。
そして、安藤選手が真に求めている、
「音楽を身体で表現した、その上の境地」
これを感じ取りたい。
2009年7月11日追記
たまたまだと思うけど、なぜか日経新聞の7月8日夕刊スポーツ面にまさに答が出ていた。
「自分の感情が入らないと。私の場合、悲しかったり、うれしかったり、複雑な気持ちがあって、それが勝手に演技に出ている。アスリートとしてはダメだと言われるけど、こうだからこそ人が何かを感じてくれる面もある」
ということでした。
by exsaito5
| 2009-07-07 14:56
| Dance