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by exsaito5
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フィギュアスケート

フィギュアスケートで安藤美姫という選手がいる。この人はオレなんかよりずーーーーーと若いのだが、やっぱり世界の第一線にいる人だから尊敬してしまう。安藤は感情の起伏が激しいのがすごくわかるので、見ててひやひやしてしまう。が、またそこが魅力でもある。

こないだたしか朝日新聞朝刊で彼女のコメントが出てた。去年の世界選手権で表彰台に上がったものの、反省の弁が書いてあったのがちょっと気になった。


「音楽を身体で表現しただけで終わってしまいました」


むむむ。


どきっとした。


オレは偉そうにこのブログで、オレの理想とするダンスを書いた。DJの流す音にいかに反応して、曲の作り手の思い、そしてDJが今なぜこの曲を選曲したのかの思いを身体で表現できたら最高!って意味のことを書いた。


つまり音楽を上手に身体で表現できるダンサーになりたいと。

ところが、安藤のさっきの言葉。音楽を身体で表現しただけで終わってしまった・・・・・・・・・・・・

しただけって・・・・・。


するだけでも大変なのに・・・・・・。


オレのダンスへの思いのレベルの低さを痛感する。

彼女はいったい何を自分の舞いの中に求めているのだろうか。その答えはその新聞記事には書いてなかった。これすごく重要だと思う。これに気づかない限り、オレみたいな凡人は安藤選手の舞いを理解できない。


自分の感情を、自分を出すことなのだろうか。音楽はこう、だけど、今自分が表現したいことはこう。その自分を出す一つの媒介として音楽が流れている。その音楽の助けを得ながら、自分を出していく、ということなのだろうか。音楽は自分を出すための媒介に過ぎない、ということだろうか。


今シーズンの安藤美姫選手には注目したい。

そして、安藤選手が真に求めている、

「音楽を身体で表現した、その上の境地」

これを感じ取りたい。


2009年7月11日追記
たまたまだと思うけど、なぜか日経新聞の7月8日夕刊スポーツ面にまさに答が出ていた。

「自分の感情が入らないと。私の場合、悲しかったり、うれしかったり、複雑な気持ちがあって、それが勝手に演技に出ている。アスリートとしてはダメだと言われるけど、こうだからこそ人が何かを感じてくれる面もある」

ということでした。


























by exsaito5 | 2009-07-07 14:56 | Dance