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by exsaito5
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カテゴリ:雑記( 32 )

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4年くらい前まで、一駅隣のコナミスポーツクラブに通っていて、そこで少しダンス仲間ができた。あるとき、暑気払いでもしようかと男、女二人ずつの4人で地元のイタメシ屋さんに予約を取って、お店で集合ということに。

お店に近づくと、なんだかいっぱい私服の人がいて、私服ってのはつまり、会社帰りとかの私服じゃなくて、平日の夕方にはこんなにはいないはずの、Tシャツ、ジーパンないまどきの若者集団男女十数人がいるわけですよ。回りには学校帰りの高校生とか近所の人達っぽい大勢が取り囲んで見てる。その中心には大きなカメラを持った若っぽいかっこのおっちゃんとか、ライト持ったおにいちゃんとか、化粧箱持ったおねえちゃんとかもいるわけですよ。

ふむふむ、撮影だよね、ドラマの撮影だよね、こんなのもあるよね、みたいな感じで、人をかき分けて予約をとったイタメシ屋さんに男二人で入る。俺は昔むかし、サラリーマン時代に広報室ってとこに所属してて、テレビコマーシャルとかの制作も広告代理店に発注してた。撮影現場も何度か立ち会ってるので、こんなものかという感じ。


しばらくして女の子二人も店に入ってくる。女の子二人は、こういう光景に慣れてないからか、ちょっと興奮気味。女の子二人に窓際のテーブル席の、奥側に座ってもらう。


と、女の子のうちの一人が、窓越しに歩道の方を見て、

「あ”っ! 森山未來だ!」

と。

「きゃー、ほんとだ」

みたいな会話が女の子二人の間で始まる。


モリヤマミライ?俺は知らん。相変わらず芸能人にうとい俺。


すると、


「隣を歩いてるの、ひょっとして蒼井優じゃない」

ときた。


蒼井優か。こっちなら名前知ってるぞ。


どうやら、森山未來という二十歳前後の俳優さんと、蒼井優が歩道を歩くシーンの撮影だったらしい。3回くらい行ったり来たり練習してる。俺らは食べ物注文したりワイン飲んだり、ああだこうだしゃべりながら、歩道の方を見てる。

と、お店に白いTシャツのおにいさんが入ってきて、頭下げながら言った。


「あのぉ、お客様、完璧にカメラ目線なんで・・・・・なんとかお願いできないでしょうか?・・・すいません」


なるほど、俺らは映ってるって事ね。よっしゃ、わかったって感じで、とにかくこのドラマ撮影に協力してやろうかと。



歩道を歩く二人は、なんとなく「しんみり」している。そこで俺らはそれの対比でにぎやかにイタメシを食べている演技をすることにした。


女の子二人も、楽しそうにわいわいとしゃべり始める。俺のオヤジギャグに対する反応もいつになくいいぞ。その瞬間、蒼井優と森山未來が歩道を通ったぁ!


俺らの演技はばっちりだった、はずだ。


なにか深刻なことを考えながら?ほとんど会話もせずに歩く蒼井優と森山未來。そのバックでは対照的に賑やかな男女4人。よくない?


イタメシも食べ終わって店の外に出る。まだ居る大勢の撮影スタッフ。同じ道路のちょっと先にコインランドリーがあるのだが、そこに蒼井優が入ったきり出てこない。ずっと出てこない。店のガラスドアの内側は、カーテンみたいので隠して外からは何も見えない。いったいあんな狭いところでなにを演技してるんだ?コインランドリーでバイトを始めたに違いない、などと完全に野次馬と化した俺らは撮影風景を見ている。

でも、一向に蒼井優が出てこないので、そこで俺らは解散となった。


俺は、家に帰ってググった。すると、俺の地元でエキストラ募集している映画があった。ドラマじゃなかった。映画だった。道理で撮影隊の規模が大きかったわけだ。タイトルは、


「百万円と苦虫女」


なんだこのタイトル。なんかネガティブなタイトルだな。あんまし好きくないな。だって、友達に自慢するときに言いにくいじゃないか。



「俺さぁ、こないだ撮影やってた映画に映ってるみたいなんだよな」

「ふーん、なんていう映画?」

「ん?      百万円と苦虫女」

「百万ドルと・・・にがむ・・・なに?」

絶対こうなる。


ま、実際、親とごく一部にしか言わなかったけどね。映ってるか映ってないかもわからないし。

映画公開はその日から一年後。イタメシ屋で一緒にいた女の子二人は、その後彼氏が出来たりで、あれだけ森山未來に興奮していたのに、まったく興味失せた模様。

もう一人の男友達の方は、森林ボランティアとかいう、木を切り倒してはげ山なった山に再び木を植えるという団体に没頭し音信不通に。で、俺は一人になった。映画が公開されても結局俺は見なかった。映ってる確信めいたものはあったんだけど、俺って映画館に一人でいけない弱い性格。友達誘うのも、なんとなく気が引けた。俺だけ盛り上がれないし。そうこうするうちに、DVDも発売されたけど、いまさら買う気が失せていた。


そんな撮影があった夏の暑い日から、3年半がたった。ネットで知り合った女性がたまたま中国で映像関係の仕事をしている方だった。中国のテレビ番組ではディレクターとかプロデューサーもしている日本人の女性。その方から富士山河口湖映画祭を見に行くというメールが来たので、合流して一緒に見ることに。


河口湖町の名もない道を歩きながら映画談義などしているときに、彼女がふと、


「中国のスタッフが、DVDで蒼井優の百万円と苦虫女を見て、すごくいいって言うんですよ。特に蒼井優がいいって勧めるんですよ。中国に戻ったら見てみようと思ってます」



おぉぉ、ここで出てくるか!「百万円と苦虫女」!



俺が返す。



「俺、その映画に映ってるかもしれないんですよ」


「え?ほんとですか?」


「蒼井優と森山未來が歩道を歩くシーンのバックに映ってるかもしれないんです。でもまだ自分では見たことないです」


「じゃ、中国に戻ったらわたし見ておきます」


「お願いします」


てな展開に。


帰宅後、俺は待ちきれなかった。買うぞと。3年半の月日を経て、ついに俺はこの映画のDVDを買うぞと!でもヤフオクで(せこいな)。


一番終了が近いのを優先に、安いのを見つけて、最低価格で入札。1600円。誰一人せり上がってはこない。翌日、落札。


で、すぐ届いた。DVDをデッキに入れて見始める。早回しで俺の出てくるあたりを探す。


あった!映画の半ば過ぎ、あのときの店の前の歩道のシーンだ!



すると・・・・


飛ぶ。


飛んだ。


シーンが飛んだ。

で、止まる。

DVDが止まる。

なんだよ、もう少しで俺が出てくるかもしれないのに!!!


なんどやっても同じ。

DVDをトレイから出して裏を見る。傷がある。さすがにレンタル落ちだから傷が多い。でも多少の傷ってCDもDVDも大丈夫だろ?今まで大丈夫だったじゃないか!


俺は必死にジーパンのもものところでごしごし拭く。汚れを取る。汚れは取った。でも傷はある。


今度はMacのドライブに挿入する。


同じだ。しかもMacはご丁寧なことに、



「壊れた領域をスキップします」


という表示が出る。

冷静に罰を宣告された感じだ。


悪かったんだ。俺が悪かったんだ。正規の料金を払ってDVDを買わず、レンタル落ちのDVDをせこく買った罰なんだなこれは。


でも俺はあきらめない。河口湖町で語った彼女に、この映画の話題を振ってくれた彼女に、報告したい。

「俺、映ってたよ」

って報告したい。

俺が映ってるかもしれないシーンのところをいったん通り過ぎて、戻るボタンを押す。ぎりぎりまで戻る。戻りすぎるとまた一瞬固まって

「壊れた領域をスキップします」

になる。

だからほんとにぎりぎりまで戻る。何度もやる。1時間14分36秒まで戻るのがぎりぎりだった。そこは歩道のシーンの途中だ。再生する。すぐイタメシ屋が近づく。蒼井優と森山未來が歩き続ける。


来た。

イタメシ屋だ。

植木があって、窓がある。


そのときだ。


黒髪の、男性らしき後頭部が、一秒くらい映った。


その黒髪の後頭部は、窓際にいて、右から左に頭を振った(ように見えた)。


俺は必死に思い出す。あのとき右隣には、森林ボランティア野郎がキャップをかぶって座っていて、俺の向かい側には犬のトリマーをやってる女の子がいた。俺は森林ボランティアの方を見て話しかけ、次に犬のトリマーの女の子に目線を向けた(ような気がする)。それが映っていたのだ。

しかも、俺だけだ。正確には俺の後頭部だけだ。顔も、背中も、肩も、首すらも映ってない!本当に後頭部だけだ。


そう、俺は

「後頭部だけ出演」


したのだ。


まったく、俺のなんの変哲もない後頭部・・・。監督さん!

ま、いいか。


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(俺の後頭部が蒼井優の右側に小さく見える)


つか、今となってはこのDVDの飛びをなんとかしたい。通しで見るときに飛んでもらっては困る。俺はググった。すると傷を修復する装置があった。3000円しないくらいで安い。

速効でクルマに乗り、ヤマダ電機に行った。探したら隅っこの方にあった。貯まってたポイントを使ったので、ただだ(あいかわらずせこい)。


装置と言っても手動で、非常に目のこまかい研磨ドラムみたいのを、ハンドル回して磨くだけ。ほんと人力で磨くだけ。60回回したら逆向きに回す、と書いてあったけど、200回くらいくるくるとハンドルを回して磨く磨く。次に、ドラムをもっと細かい目のものに入れ替えて、クリームをDVDに塗布し、再び回す回す。最後に拭き取る。


で、おそるおそるドライブに入れてみる。



おおおおおお、飛ばない!全然飛ばない!全くオッケーじゃん。


俺の映っているシーンが続けて見れた。素晴らしい。これで俺は正真正銘出演した気になった。

よかったな!俺の後頭部!


それと、エレコムのディスク修復機!ありがとさん!
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by exsaito5 | 2011-02-25 09:31 | 雑記
オレの母親の出生地は、現在の地名で言うと、東京都文京区本駒込だが、本当の地名で言うと、駒込浅嘉町(こまごめあさかちょう)である。いま流行のヤネセン、谷中・千駄木・根津でいうと、千駄木が隣町である。JRの駅で言うと田端とか西日暮里となる。


母親の家があったらしいところは、下の三つの地図の赤丸印のとこだ。左側の南北の大通りは現在の本郷通り。右上(北)に向かって斜めに通っているのが動坂通りである。
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上の地図は江戸時代の白山駒込あたりの古地図。goo地図がネットで公開していた。母親の実家は、徳源院の隣ということなので赤丸の辺だろう。百姓地、植木屋多し、と書いてある。母親のご先祖様は明治時代になって池袋のあたりから移住してきたと聞いている。


左上に大きな寺がある。吉祥寺である。もともと水道橋あたりにあった寺だが、江戸時代の大火で焼けてしまい、駒込に移転したようである。で、もともとの寺の門前町で商売をしたり、関係していた人々は新たに武蔵野の地に移住し、その地の名前を自分らが世話になった寺にちなんで吉祥寺という地名にしたらしい。そこが現在の中央線吉祥寺だ。だからそちらには吉祥寺という寺は無いはずだ。








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上の白黒写真はおそらく米軍が撮影したのだと思うが、昭和22年の空撮である。下のカラー写真は現在のグーグルマップの航空写真である。駐車場になっているが、道路付けや地形がわりと残っている。上の写真で、白っぽく霞がかかったようになっているところが、焼夷弾で焼け野原になった跡地である。黒々しているところが焼け残ったところである。寺の林などが防火林のようになって残ったのだろう。母親の家は白っぽくなっている。灰になってしまったということだ。母親が言うには1945年5月25日の大空襲で焼けたらしい。


空襲については、母親からはエピソードを一つ聞いている。3月10日の東京大空襲で下町を中心に焼けたその夜、母親の通っていた文京区千駄木小学校の生徒は栃木県那須に疎開に出た。大勢の小学生と先生が東北線の汽車に乗っていた。大宮あたりで先生達が心配そうに窓から顔を出し東京の方を振り返る。呆然としている。生徒達も次々に窓から顔を出し、東京の方角を見る。車内があっという間にざわざわしてきた。母親も見た。東京の空が真っ赤だったらしい。今日出てきたばかりの東京が燃えていたのだ。汽車は、はき出す蒸気に火の粉が混ざると敵機に狙われるので、時速10㎞程度の遅い速度で、走っては止まり走っては止まりの連続だったらしい。その時の空襲では自宅は焼けなかったが、5月25日の空襲で焼けてしまったということだった。



今日、母から聞いた話で、母親の育った家は、徳源院という寺の塀をへだてた東隣、狭くて短い道の突き当たりにあった本家とつながっていた、とわかったので、白黒の空撮写真を拡大してみた。すると、徳源院のすぐ東側にかすかに白く細い道が見え、突き当たっている。おそらく赤丸をつけたあたりに母親の家の本家と母の家があったのだろう。
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(注:地形は、母親が記憶を元に手書きしたものを参考にした。現在は屋敷や庭の跡形もなく、普通の住宅地であり全く別の方々が昔のことはおそらく知らずに静かに住まわれている。プライバシーには注意したい。母の本家は戦後土地は処分してしまっている)


さて、ここまでいたって個人的な駄文であったが、最後まで読んだくれた人にもっと面白い話しをお聞かせしよう。母親が言うには、母親の家の北隣には、明治天皇の側室が住んでいたのだ。上の地図に区割り想像図を描いてみた。

聞いた話を少し書いてみる。

母の家とその北側にある側室の家の境は竹垣で区切られていた。母の家の東には母の家とくっついて本家があり、竹垣も連続していた。本家の裏あたりの竹垣に、なぜか一つ小さな板戸があった。その板戸を開ければそのでっかい屋敷に入り込むことができたが、怖くて開けられなかった。それでも中が気になってしかたなく、いつも腕をその竹垣の上に乗せて背伸びして芝生の庭を覗いていた。毎日、着物を着たおばあさまが、大きな池の前で手をぱちぱちと叩く。すると何匹もの大きな錦鯉が寄ってきて、おばあさまが餌をまいていたのが見えた。

またある時は、道路をぐるっと回って東側の開いている門から庭に侵入、すると洋館の部屋から突き出た六角形の出窓風の窓には色とりどりのステンドグラスがはめ込まれ、その部屋からポロンポロンとピアノの音が響いてきた。そのときは、庭師のおじさんに見つかったけど、こちらが小学1、2年生くらいの女の子だったからか、全然怒られなかった。それはそれは上流階級のでっかいお屋敷だったらしい。

なぜ、竹垣に板戸があったのか。母の話によると、その側室の家の庭には大きな防空壕があった。おそらく隣組の住民はいざとなったらその防空壕に避難できるような決まりになっていたのではないだろうか。その防空壕がすごい。庶民の防空壕は、せいぜい縁側の下を掘って家族が縮こまって入れるくらいの穴だった。ところがその側室の防空壕は、片側が階段、逆側はスロープだった。スロープのほうはリヤカーで高価な家具や衣服類を乗せて入れるためのものだったのだろうということだ。

しかし、このお屋敷は、オレの母の家、母の本家共々1945年5月25日の空襲でなんの跡形もなく焼けてしまった。ピアノもステンドグラスも焼けてしまっただろう。もしかしたら池の水は消火活動に使われたのかもしれない。防空壕は役に立ったのだろうか・・・・・。いろいろな思いが頭を駆けめぐる。


母親の本家は、動坂通りに面して3、4軒の店を貸していた。せんべい屋とかがあったらしい。本家そのものも畳屋をやっていて、この大通り沿いで畳屋を営んでいた。恩田という姓なので恩田畳店と呼んでいたのかもしれない。母親の父は普通の東京電力のサラリーマンであった。本家は徳源院の塀沿いにやはり3、4軒の借家を貸していて、その一番北に位置したのが分家であるオレの母親の家だった。

家の裏が明治天皇の側室の家だったという話は、ずいぶん前から母親には聞かされていた。でもまじめに調べたことはなかった。で、今日はじめて「明治天皇 側室」でググってみた。すると、明治天皇は正妻との間に子供ができなかったので、側室が5名いたようだ。そして、そのうちの一人、千種仁子(ちぐさことこ)という女性が千駄木林町の出身と書いてあるサイトがあった。そのサイトに、ある本が紹介されている。

以下引用

「歴史と旅・特集:明治天皇といふ人」(秋田書店2001年12月)なるムック本があります。この中に「明治天皇のお側の女性たち」(森まゆみ)という記事があり、千種任子についてこう書いてあります。(P67-71)
*「権典侍は、天皇の身の回りの世話、風呂での背中を流したりする役で、天皇の側室であり、化粧料150円が別に与えられた。千種任子(ちぐさ・ことこ)は(中略)のちに天皇の側に侍(はべ)り権典侍となったと思われる」
*「(明治天皇との間に、天皇から見て)三女・韻子<明治14年>と四女・章子<明治16年>を生んだが(中略)二人ともそれぞれ2歳1カ月、7カ月で相次いで夭折(ようせつ)している」
*「権典侍は基本的に天皇の側室なので、化粧料をもらってはいても、公の場には一切出られなかった」
*「千種任子は昭和19年、89歳で死去。(中略)明治天皇が逝ってから、千種任子は三十数年を一人生きざるを得なかった。まさに<未亡人>のひっそりとした暮らしであったろう。自分で生んだけれども育たなかった皇女たちのことなど、どんな想いがその胸に去来していただろう。千駄木林町の千種邸のあとは、今も国有地である(後略)」

引用終わり

最後の行に、「千駄木林町」とある。この地名は今は存在しないが、現在の千駄木5丁目、千駄木小学校のある一帯の、もともとお屋敷町らしい。
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とりあえずオレの母親の話は嘘じゃないと信じている。息子に嘘ついてもしょうがない。なので、駒込浅嘉町には明治天皇の側室が住んでいた、までは事実と思う。では、5名の内、誰がそこに住んでいたかとなるが、うち二名は昭和になる前に亡くなっているので、三名に絞られる。ほかには園祥子(そのさちこ)という女性と、柳原愛子(やなぎはらなるこ)という大正天皇を生んだ女性がいる。

オレの母親は1933年生まれ。仮にこの側室の屋敷から流れるピアノを聞いたのを4歳から10歳の間とすると、1937年から1943年頃となる。

千種仁子さんは、1855年生まれ1944年没。82歳から88歳でピアノを弾くかな????健康なら弾けるよな。彼女は小石川伝通院にお墓があるらしい。ソースはwikipediaなので、実際のところ行ってみないとわからない。この寺は駒込浅嘉町から直線距離で1.5km。本郷通りから白山通りに入りすぐである。お墓が近い、という事実は重要な補完情報となろう。


園祥子さんは、1867年生まれの1947年没。70歳から76歳でピアノを弾いていた?  これは普通にありえる。しかしこの方のお墓は新宿区西光庵にある。千駄木とは縁がないような気もする。


大正天皇を生んだ柳原愛子さん、1855年生まれ1943年没。 これは千種さんと近いが、この方は目黒の祐天寺にお墓がある。やはり駒込との縁が見つからない。


うーん、どうなんだろう。年齢的には一番若い園さんかもしれないし、けど、いい暮らしをしていたら80歳すぎてもピアノくらい普通に弾いてしまうかもしれない。あるいは、メイドさんが弾いていたとか、世話をする親族の方や兄弟姉妹が弾いていたのかも知れない。すると、さきほどの「千駄木林町」の出身だという情報があり、また、お墓が小石川伝通院にあるという千種仁子さんの可能性が高い。「千駄木林町」は、現在の地名で言うと千駄木5丁目であり、母親の通っていた千駄木小学校は、この千駄木5丁目にある。「駒込浅嘉町」の隣町であり、千駄木小学校は母の家から歩いてほんの5分の距離である。


オレの想像を書いておこう。

「千駄木林町(現在の千駄木5丁目)に千種家の本家があった。明治天皇の側室であった千種仁子(ちぐさことこ)さんは、お世継ぎを生む、という宮中での大事な宮仕えを終えた晩年、そのまま皇居にいるわけにもいかず、かといって千種家の本家に戻るわけにもいかず、皇室予算で実家近くの駒込浅嘉町に住宅を建ててもらい、分家として戻った。オレの母親の家の北隣に・・・」


江戸時代までは、天皇が側室を持ち、子供を産ませ、皇統をつなぐ、というのは普通だったらしい。ところが立憲君主の法治国家となった日本は、明治、大正、昭和となってくると、やはり正妻の子ということにしないと、世間体にしろ、国際的な印象にしろ、まずかったようだ。そこで、側室の情報は外には出なくなった。そのため、宮仕えを終えた後、いったいどんな人生をどこでどのように送ったか、という情報は消されてしまっているか、宮中に秘されているようである。また、宮中での公的な立場も「側室」ではなく「女官」であった。


この千種仁子さんは、明治天皇との間に二人の女の子を生んだ。しかし残念なことに一人は2歳のとき、一人はたった7ヶ月で無くなっている。結局男の子を生んだ側室柳原愛子さんの子供が大正天皇になった。オレは千種仁子さんの二人の女児の早すぎる死には、なにやら謎めいたものを感じる。他の側室の子供も死産とされている子供さんがとても多いし、無事成人した方は15人生まれたうちの5人だけと言うではないか。栄養や環境のいい宮中でそんなに子供さんが大勢が亡くなるだろうか。生きていたけど、亡くなったことにされていた、という可能性もある。あるいは・・・・・。ちなみに大正天皇を生んだ柳原愛子さんは、その我が子を抱くことは一度たりとも許されていなかった。まさに生んだだけ、ということだ。


オレの母親も、だいぶ高齢になってきた。こういう話しはどんどん聞いて、書き残していきたい。今の世の中なら別に天皇家の本当のことを書いても暗殺されたり、憲兵につかまって、拷問の末獄死とかはないだろう。歴史は書き残さないと無かったことになる。オレの母親が家の裏の側室の方の名前を覚えていたら、もっと貴重な情報だったのだが、全然覚えていないと。なぜか、友達の間でも、親との間でも、この隣家の話題は触れてはいけない、言いふらすとなにか恐ろしいことが起こる、という怖さがあったとのことだ。


一応とぼしい情報の中で、オレの頭の中では、まことに勝手ながら、駒込浅嘉町に住んでいた明治天皇側室は千種仁子(ちぐさことこ)さん、とさせてもらった。

※重ねて言うが、現在はこの周辺はここに書いた話と無関係の方々が、静かに居住しておられる。くれぐれもプライバシーを害すること無きようにお願いしたい。
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by exsaito5 | 2010-05-04 23:19 | 雑記

血管拡張性肉芽腫 7

で、二週間ぶりに医者に診てもらった。二秒くらい見て、

「治ってますね」


と一言。で、カルテになにやら入力して、終わりにしようとする。


んで、オレはあせって、


「あの、まわりの角質が固くなって、押すと痛いんですけど」


すると先生は、

「サリチル酸塗っておきましょう」


と。


サリチル酸は、イボコロリのこと。角質を柔らかくして白くふやけていく。

ふー。これで先が見えてきた。この角質を取り除いて完治、ということになるだろう。


処方に従って薬局でサリチル酸を買う。正確にはサリチル酸ワセリンと書いてあって、指ですくって患部に塗るようになってる。かなり原始的。そのままだと靴下がすぐ吸収しちゃうので、まえに医者に教わったように、サランラップを切ってそれをかましてから絆創膏を貼った。これじゃ市販のイボコロリの方が絆創膏付きだしやっぱ考えられているよな。


まあ、これで2,3日すると角質がふやけてくるはず。
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by exsaito5 | 2010-04-29 06:14 | 雑記

血管拡張性肉芽腫 6

シリーズも6回目となる。約1ヶ月たった。その間、窒素は3回。前回からは約2週間間があいた。

で、患部は?


ほぼ平らになりました。突起がなくなった。で、膿は止まってる。ぱさぱさに乾いてる。なので、絆創膏もなし。直接靴下!


この肉芽腫は、ドーム状に盛り上がる。ピンクの綺麗な色をした薄皮に覆われたドームができます。オレのは高さ4ミリくらい、直径は7ミリくらいだった。丸いドーム。


それが3回の窒素によって高さがゼロとなりました。前回めちゃくちゃ痛かったことは書いた。それから2週間たった。で、微妙に化膿した。黄色い膿が表面を覆ったから。その軽い化膿は膿をティッシュとかでぬぐったり、乾かしたりで、悪化しなかった。よかった。


あるいは、化膿ではなくて、窒素によって壊死した細胞の残骸だったのだろうか。擦り傷とかのかさぶたも、微妙に化膿して、血の固まったかさぶたに、膿がかたまった黄色がまざったりするが、そんな感じだった。でもだんだんと黄色がなくなって、赤黒のかさぶただけになった。


今の状態は、高さがゼロになり、患部は赤黒のかさぶたが表面にある状態。で、その丸い患部の周りの角質が厚く固い状態。なんで周りだけ角質が残ってるかというと、窒素やる前に、患部の周りだけイボコロリを塗布していて、その部分だけが綺麗に角質が取れ、患部に一番近いところは塗れなかったので、そこが月面クレーターのように土手状に残ったのだ。


この角質を押すと痛い。たこのように固くなっている。患部そのものを押すと、ちょっと刺激痛があるけど、それほど痛くない。むしろ周りのたこになった角質を押す方が痛い。



つことは、この肉芽腫が治ったら、まわりのたこを治さないといけないってことかな。でも、たこ状態の角質はイボコロリですぐ白くふやけて取れるはず。あんまし心配じゃない。


先が見えてきて、今心配なのは、この肉芽腫の下にまだあるはずの魚の目の芯。芯を取ってないので根本治療になってない。今回肉芽腫になったのは、この芯が毛細血管を傷つけ続けて、毛細血管が異常増殖したのが原因だと、素人考えしてる。



だから、最終的には今の肉芽腫のかさぶたの下にあるはずの芯をやっつけないといけない。




そのやっつけ方だが、そのうち先生に聞くつもりだが、どうやるのかな?


まさか、また「窒素」じゃないよな???????


今は、それが心配。
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by exsaito5 | 2010-04-26 02:17 | 雑記

血管拡張性肉芽腫 5

先週3回目の治療を行い、メチャクチャ痛かったことを書いた。で、その後数日間はそれまでと少し違った現象が起きていた。化膿したっぽかったのだ。治療翌日には痛みが引くかと思っていたら、ズキ、ズキとたまにひどく痛んだ。それが割と中の方から痛んだ。で、おそるおそる二日目に絆創膏を取ってみると、黄色っぽいネバネバが少し表面に浮かんでいる。ちょうど、赤黒い○の中心に黄色がある感じである。


おい、これ、膿じゃね?普通に膿んでるじゃね?


そう、化膿したのである。

おい、ただでさえ痛くて落ち込む腫瘍が出来てるっつのに、化膿するか?たのむよほんと。こんどは化膿の治療をお願いしないといけないのかよ。しかもいつもの先生は次は2週間後とか言ってたから、別に予約とらないといけないし。あー。


でも、会社のおばちゃんにそのこと言ったら言われた。膿が出るってことは細胞がうまく死んでるってことでしょって。


なるほど、窒素治療というのは、細胞を凍結させ壊死させる。確かに。うまく死んでるから膿になるのか。ふむふむ、なんか説得力があった。



ということで、オレは前向きに考えた。これは治療がうまくいっていて、殺したい細胞がうまく殺された証拠なんだと。ま、病院によけいに行きたくないから行かないでいい理由がほしかっただけなんだが。


ということで、前向きだか後ろ向きだかわからないが、とにかくオレは積極的静観をすることとした。つまり放っておくってことだ。


その間も、たまにズキ、ズキっとした。で、先週より、痛みがなくなるのが遅い。おかしいな。やっぱまずいかなぁと弱気にもなったりしたが、まじやぱくなったら病院に行くとして、静観を続けた。



絆創膏をしばらく取ったままにして、ちょっと乾かした。絆創膏があるとやっぱ風通し無いから、グジュグジュしてる。黄色い膿と赤黒い壊死しかけた皮膚が湿ってて、それもなんとなく膿が出る原因に感じてた。乾かしたら乾かしたで、なんとなく、かさぶたっぽくなった。


土曜日、頭が痛い。寒気がする。風邪っぽいけど風邪じゃない。なんだ?もしかして、化膿したとこからよからぬ菌が入って全身をまわり、身体が拒絶反応をしているのかもしれない。やだなそんなの。まさか魚の目が悪化して死亡とかかっこわるすぎだろ。つか、それより、頭痛い!傷はどうでもいいから、この頭痛をやっつけないと。葛根湯を飲んで、レモン汁しぼってオリゴ糖を垂らしお湯割りにして飲んで、暖かくして寝た。体調のリズムが狂っているのか、夜中にどまんなかに目がさめてしまう。そうだな、自律神経が失調してるんだな。


オレは自律神経が失調したときの対処方を少し知っている。指先が暖かいお湯につかっている、足が温かいお湯につかっている、身体がずしりと沈んでいく、おなかが温かい湯たんぽで温められている、そんなのをイメージしながら、空気はフハーーーーーーーと吐く。肺の中の空気をいやなものと一緒に全部出す感じ。するとどんどん副交感神経が優位になる。血管は拡張し暖かくなってくる。身体はリラックスしてくる。大抵、緊張が続いているときは、肺に空気をためたままになり、血管は収縮している。溜まった空気は全部出さないといけない。これをやってかなり落ち着いてきた。


さて、乾かすとかさぶた化が徐々に進んできた。かさぶたになると治ると言われているので、これはいい傾向かもと思った。土曜、日曜と、すこしずつ乾かす時間を長くした。で、さっき確認してみると、表面はカピカピに乾いて、なんか真っ平らで、しかもピカピカしてる。体液が乾いて固まったって感じ。


色はまんなかにあった黄色い膿の部分が周りの赤黒い色に押されて、全体が赤黒っぽくなった。化膿は止まってくれたみたい。


日曜日は頭の痛いのもほぼ治った。ま、バッファリンが効いたのだが。風邪でもなく、ばい菌が全身をまわったのでもなく、仕事のストレスと疲れだったみたい。実家でおふくろが言ってたのが当たっていた。疲れとかストレスって自分ではどれだけ溜まってるかあんまし分からないものだ。身近な他人の方がわかるようだ。


かさぶた化が進むと同時に、高さがなくなってきた。指でなぞってみたら、ほぼ高さが周りと一緒になってきた。隆起が少なくなってきた。これは肉芽腫が縮小した証拠だ!!!!!!!よっしゃーーーーー!!!!


あともう少しかもしれない。次の治療までは一週間ある。この一週間でもっとかさぶた化が進んで、隆起が縮小してほしい。そうすればもう窒素のシューーーーーーーは、しなくていいかもしれない。
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by exsaito5 | 2010-04-18 23:29 | 雑記

血管拡張性肉芽腫 4

シリーズ肉芽腫もvol.4となった。今回は3回目の治療結果をご報告します。いつもご愛読ありがとうございます。

前回は治療2回目でしたが、だいぶ落ち着いた書き込みになっていました。なにせ、ほんと痛くなかったから。


で、今回は3回目。普段の生活ではいよいよ痛みがなくなりつつあり、いい感じでした。治療も2回目よりさらに痛くないはずだしぃ、と余裕でした。



が、現実は甘くなかった。あまり治りが早くないのに気づいた先生は、前回より明らかに!シューの時間が長い!シューは3回やるんだが、2回目にしてすでに痛みが!グハ!


もう大人なんでぇ、ギャー!とかは言わない。でもグハ!痛いっす。1回目と同じ強烈な痛さが来ました。つまり、シューの時間の長さによってどれだけ深く細胞凍結をきたしているか、ですな。細胞凍結、つまり凍傷による壊死ですが、その深さが変わってくるわけです。



今回は、3回とも長かった。まだ止めないのぉ?って感じですよ。こちらは慣れてきた分、じっと見つめる余裕があるのですが、もうシューのスプレーの柄?が、みるみるうちに空気中の水分を凍らして真っ白になってるんだから。オレの患部も真っ白に霜がついて凍ってるし。


もう参りました!降参!窒素の痛みはやはり慣れません!やっぱ何度やっても痛い。ま、痛くないとスキー場とかでも凍傷を放っておくってことだもんな。だから痛くていいんだけど、正直痛すぎです!



うーん、今回、痛いという字を何回使ったのやら。ここまでで12回使ってるし。

ま、でも、普段の痛みがほんと無くなってきているので、前向きに、明るい希望をもって。治らない病気は無いと信じて、オレは前に進むのだ!ちきしょうーーーーーーーーーーーーーーーーーー!
いてぇ;ぇええええええええええええええええええええええええええええええ!
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by exsaito5 | 2010-04-13 19:33 | 雑記

血管拡張性肉芽腫 3

さて、おととい二度目の窒素をやって、今日で二日目。床についても靴を履いて地面についてもほとんど痛みがなくなってきた。強くつくと痛いけど普通に部屋のなかを歩くのは大丈夫。歩道をテクテク歩くとちょっと痛み、微妙にびっこ、というくらいまで回復した。



けさ、絆創膏を変えた。処方された副腎皮質の塗り薬をつけて、医者に言われたようにサランラップを小さく切って、にじまなくして、その上から絆創膏をした。


そのとき患部を見たら、表面が黒くなってた。やっと、



「焼いた」


という感じがしてきた。




窒素で焼く、というけど、そんな感じ。実際は凍傷のひどいのと同じで壊死なわけだが。


で、盛り上がりの高さは、半分くらいまで小さくなった。まだすこし盛り上がってる。これが平らになるのか、ポロッととれてむしろ穴があくのか、これからが見もの。


患部の周りの角質は白くなってる。イボコロリをつけたときみたく、ふやけている。これはサランラップをしてたから、本当にふやけたんだろう。



つーことで、だいぶ気持ち的にも前むきになってきた。意外と早く治るかもしれない。願わくば、中に絶対にある魚の目の芯、これも退治されたらいいなと。
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by exsaito5 | 2010-04-08 21:05 | 雑記

続 血管拡張性肉芽腫

初回の窒素治療から一週間経った。二回目の治療である。前回は、24時間くらい痛みがあり、特に治療後の3時間くらいはがまんするのが大変なくらいのずきんずきんという痛みであった。



しかし、24時間もするとだいぶ痛みは引いていたのも事実。二日もするとそれほどびっこを引かずに歩けるようになり、三日もするとほぼ普通に歩いていた。ただし、地面や床に患部を接するとやはりチリチリと痛んだ。しかしその痛みは窒素治療の痛みではなく、肉芽腫そのものの淡い痛みである。それは我慢のできる範囲だ。




で、今日二回目の窒素だ。当然やだなーという気分なのだが、一回目とちがって、「やってやるぞ!」という前向きな気持ちで臨んだ。これをがまんすれば治るんだ、という前向きな気持ちで。


しかも、前回の経験でどれくらいの痛みがどれくらいの時間帯で残存するのか、それがわかっているために、先が読める。前回は、この強烈な痛みがどれくらい続くのか?、さらに痛くなるのか?ということがわからず、不安感や恐怖心が痛みを増幅していたと思う。



今回は、予想できる。診察室に入る。先生とちょっと会話を交わす。ずいぶん小さくなりましたねと先生は言う。たしかに見ると、ちょっと平らっぽくなってた。痛みはありますか?というので、普通にしてるとありません。くっつくと痛いです。と言った。くっつくとってのは地面や床にくっつくとという意味で言ったのだが、先生はガーゼとか絆創膏にくっつくと痛い、と受け取ったようだ。ま、いいか。症状は正確に伝えないといけないなと反省する。でも、たしかに、血液や体液で絆創膏のガーゼ部分が汚れるのでくっつくこともあるのはある。で、結果的に、先生は前回は処方しなかった塗り薬を処方してくれた。炎症を抑えるのと、くっつきを防ぐようだ。



さて、先生はオレの右親指裏の患部めがけて窒素を噴射する。前回は、怖くてそのスプレーを直視できなかった。だからそのスプレーがいかにもスプレー缶みたいな感じで、それこそキンチョールみたいなスプレー缶に見えていたのだけど、今日落ち着いて見てみたら、いかにも業務用の、ピンポイント型の、しっかりした医療用スプレー器具、って感じだった。だから、噴射は意外と患部以外の周囲にはあたっていなかった。オレはてっきり、この痛みは正常な部分まで凍らせている痛みだと思ってたけど、さすが先生、きちんと仕事してるじゃん。


気になっていた魚の目のことを聞く。

「魚の目の芯がまだ中に入っているのですが、それも一緒に取れますかね?」


「うーん、それはやってみないとわからないね」



残念。でも一緒に芯もやっつけられるかもしれないってことだよな。今回の肉腫が取れたら、芯が見えてくるかもしれない。そしたらがっつり窒素でやっつけるか、一瞬の痛みはがまんするから、えいやでピンセットで取ってもらおう!


さて、今回も三回にわけて窒素を噴射する。最初はつめたくて気持ちいいのは前回と同じ。で、前回より早く痛みがきたけど、その痛みが激痛とまではいかない。でおわった。なんか短く感じた。ん?楽勝じゃん。みたいな。



帰り。まあ、びっこにはなる。でも、激痛じゃない。病院向かい側の薬局で指定の塗り薬を買った。きれいな薬剤師さんだった。だいたい病院とか薬局とかではこちらが弱気になってるからか、白衣やピンクの制服がそそるのか、女性がきれいに見える。ま、見えるというか、ほんとに奇麗な人だった。また来たいけど、もう来ないわな。


ま、こんな記事書かなくてもいいのかもしれないけど、前回、しぬほど激痛でそれをそのまま書いたので、このブログを検索で目にした人に、無用の心配をかけたまま、というのもよくないので、二回目の液体窒素治療を書いたというわけ。ついでだから、一週間後の三回目も書きます。


結論:液体窒素治療は、一回目は痛いです!でも二回目はそんなでもありません!ぜんぜんオッケーです。もしかして切るよりは楽な治療法かもしれません。


以上~
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by exsaito5 | 2010-04-06 18:19 | 雑記

血管拡張性肉芽腫

血管拡張性肉芽腫という、すごい名前の病気?になった。病気という意識はないけど、病院で治療を受けてるし、けがでもなし、やっぱ病気なんだろうな。


ことの発端は魚の目。もう何年も前から足の親指の裏側の角質がずいぶんと固く、すこし黄色っぽくなってるなーーーーとは思ってた。それがすごく固くなってきたのが3年くらい前。そのときに処置しておけばよかった。角質をふやけさせる塗り薬なんて薬局でいっぱい売ってるし、有名なのはイボコロリとか。


でも放っておいたのがまずかった。まず魚の目ができた。ちいさな芯がチクチクと真皮を刺すので痛む。これは物理的にも分かりやすい構図。この芯を取り去ればいい。で、やっと塗り薬の登場。コーンリムーバーなる、ドイツ製だったかな、それを買ってせっせと塗った。二日もすると角質が白くふやけて、ぼろぼろと取れる。一週間とか二週間とかたったかな。芯が見えた。引っ張る。痛い。芯の根みたいのが真皮にしっかりと根をおろして、抜けきれない。


ここで、根性を見せればよかった。いっときの痛み、いっときの出血なんてどうでもよかった。でも、オレは本当に弱かった。根性無しだった。その痛みがいやで、放っておいたのだ。芯の上の方を削って根っこの部分は残して中途半端に終わりにしてしまったのだ。ぐりぐりやるとさすがにいたかったけど、普通に歩いたり走ったり、ダンスしたりしてる分には痛くなかった。


まあ、芯は中にあるままだけど、このまま上手にお付き合いできるかなと。ところがそれから2年半。チリチリと夜中痛むようになった。なんだ?チリチリ、たまに軽くズキズキと痛む。でもすぐにやむ。持続しないのでまた放っておいた。


そして出血があった。ダンスの後、再び覆っていた角質の下で出血したのだ。なにせ芯がはいったままだから、毛細血管をやぶったのかもしれないし、まさつで角質の下の毛細血管がやぶれたのかもしれない。でもそれほど痛くないから、これも放っておいた。


すると、角質がどんどんドーム型に膨らんだきた。なんだこれ?直径7~8ミリくらい。高さ2ミリか3ミリくらいに隆起している。隆起するから体重がかかるし、当たる。歩きづらくなるし、ダンスでも右親指をなるべく床につかないように、体重がかからないようにするから変な動きになる。



はじめて支障が出たので、処置しようとした。薬局に行く。塗り薬はずぼらな人には合わないと薬剤師さんに言われたので、絆創膏型の魚の目薬を貼る。2年前と同じだ。2、3日で分厚い角質が白くふやけて、ぺろりと向ける。


すると!!!!


赤い!なんだこれは。赤い肉のようなものが見える。おかしいだろ。魚の目なら白い芯が見えるはずだろ????なんで赤いんだよ。しかもぷにゅぷにゅ柔らかいし。表面から微妙に出血しているし。



芯なのか、芯じゃないのか、肉なのか、もっと怖いものなのか・・・・・・?



大の病院嫌いのオレはそれでもまだ病院に行かない。さらに魚の目絆創膏を貼る貼る。するとその赤い周りの角質は全部取れた。


そして!


赤い表面は、周りの分厚い角質がきれいさっぱりなくなったので、小指の先くらいの高さをもって屹立しているではないか!


もうこれはどうみても魚の目の芯じゃない!肉だ!肉だけならまだしも、に、にく、肉腫なのかっ?!

いやだ。肉腫なんて言葉、初めて使った!オレとは縁がないはずだ!悪性だったらどうする!



オレはネットで検索しまくった。たのむ、悪性とか言わないでくれ!それってガンとも言うんだろ?
やめてくれそんな。まだ死にたくない。



とりあえず肉腫でグーグルの画像検索にかける。すると似た画像があった。クリックしてそのひとのブログをお邪魔する。ん?血管拡張性肉芽腫???????ギャー、やっぱり怖い名前だ!!!!!!!




でも、読み進んでいくと、

良性

とか書いてある。

ホっ



で、いろいろ調べたら全然死ぬようなものじゃないと分かった。やっと落ち着いた。で、翌日の今日、病院に行った。まったく月末年度末の超いそがしいときにタイミング悪すぎ。


総合病院の皮膚科に行く。症状は前もって書いておく。総合受付に最初に渡すのだが、窓口のおねえちゃんが、オレの書いた症状を読むとちょっと真剣な表情になり、

「あ、あの、皮膚科に行く前に、悪性か良性かだけでも調べますか?」

と聞いてくる。

なるほど、ガンか良性腫瘍か判断つかないんだな。オレはネットで調べまくってるから、「血管拡張性肉芽腫」でほぼ90%はあってると思ってるから余裕である。

「すぐ皮膚科でお願いします」

と言う。でもなんかちょっとだけ、
「もしかしたら悪性かも」

と、思っちゃったじゃないの!
ま、それが仕事だからしょうがないよね。心配してくれたんだよね。

皮膚科の部屋の前に行く。待ってる人が一人もいない。いきなりオレの番である。ここの皮膚科すいてる!評判悪い訳じゃないよね?先生にさっき書いた症状を手渡して、患部を見せると、もう先生は一瞬の判断。2秒もかからない。「血管が大きくなっちゃったね」とだけ言う。正式名称である、血管拡張性肉芽腫とは言わない。なんで?名前が怖いからいらぬ恐怖心をオレに与えないためかな。オレもつっこまないようにした。

で、椅子に座った5秒後だ。いきなり「窒素で治療しますね」と言うと、先生がシューーーーーっと吹きつける。窒素を吹き付ける。ずっと吹き付ける。30秒くらいで一旦ガーゼを当てる。で、また吹き付ける。シューーーーーーーーー。


とりあえず、そのシューーーーーーーーーーーーーは、痛くもかゆくもない。ちょっと冷たい感じでいい気持ち。ベテランっぽい看護婦さんが、「頑張ってね」とニコニコしながら言う。頑張るもなにも、全然頑張る必要ないしぃ、って感じで余裕である。



と、一分くらいたったときだ。


ズギン。


ズキン。



んん?ちょっと重い痛みが来た。

なんだよ、やっぱり痛いじゃん。


とか思うもなく、

ギャーーーーーーーー!

と叫ぶ(心の中で)。

痛いよこれ。いや痛いを越えている。やばい!
だから病院は嫌いなんだぁ!



先生は平然と、次は一週間後にしましょうね。とアポを入れるので、オレも平然を装い手帳にメモメモした。しかし頭の中を痛い!が99%占めているので、頭がきちんと働かない。後で見たら全然違う日にちの欄にメモしてた。



病院からはクルマで事務所に帰る。アクセルを踏めない。踏むと当たる。激痛!歩けない!窒素恐るべし!




でもオレはこの痛みに耐え、ポロリと患部が取れるのを待つ。私は負けない!
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by exsaito5 | 2010-03-30 19:31 | 雑記
もうシティランをやめて何年になるだろう。街乗りスケートのムーブメント、シティラン。道路を人の手に!というコンセプトで身体張ってた。道路は自動車の通過するだけの空間ではないはず・・・、道路はコミュニケーションの場であり、人と人をむすぶもの、なにか新しいものを、あたらしいことを生み出す空間!ッてかんじで、まずは滑ってみた。インラインスケートで滑ってみたのが1999年だった。仲間は100人は優に越えてたね。のべで言えば300人くらいはいた。花火ナイトスケートという一つのイベントだけで100人集まったからね。でももう11年前。ひと昔プラス1年だ。


もう昔の事なんだよ。おれはリーダーやってた。ッて書くと、我ながらなさけなくなる。過去の栄光をまだ書いてる。今の自分に光が全く当たってないから。日陰にいるから。ああ、情けない。


で、今日、NHK見てたら、プロフェッショナルってのやってて、シティランのとき知ってたある仲間の顔が出てきた。最初から最後まで出てきた。ある全盲の女性がインターネットのソフトを開発してる、その右腕的存在として出てた。別に名前が大きく紹介されるとかそういうのは無かったけど、やつはとにかく、ある世界の最先端でがんばってるのがわかった。



それに引き替え、俺はどうしたことか。10年前、俺はそいつをずいぶんと馬鹿にしてた。馬鹿にしてるつもりはさらさらなかったけど、なめてたかもな。俺はリーダーだったからさ、また言っちゃったけど、みんな俺より下だと思ってた。


ところが、その遊び以外の世界ではみんな本業でがんばってて、平気で世界の最先端やってたわけよ。



俺は刺激受けたね。俺、負けないし。俺は俺のある分野で世界でトップ取る。もちろんダンスとか音楽とかじゃない。いまのとこ内緒。不言実行派。まずは日本一からだ。絶対だ。
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by exsaito5 | 2010-01-12 23:39 | 雑記