速読術
2009年 09月 16日
後輩から聞いた話。
速読術の講演があったのだと。
人は文章を読むとき、心の中で自分の声に出して読んでいる。オレもそう。頭の中では音になってる。その音で意味を取っている。
それでは速読はできないんだと。
速読って不思議だと思ってた。けど、これ聞いて、フムフム、という感じはした。言葉の意味を取るのって、原始時代は文字がないから、音声になる。獲物を見つけたときの叫び声とか、災害にあいそうなときの警告の声とか、もろもろ、コミュニケーションを取る時は、文字じゃなくて音、声だ。
だから、現代の人間も、本を読むとき、一旦、心の声として、頭の中で音で鳴らして、それを音声をつかさどる脳の部位を働かせて意味を取っているのだろう。
これだと、通常の会話の速さが読む速さということだ。一般人はそうだろう。オレもそんな感じだ。
でも、速読術をマスターした人は違うようだ。見る力によって読んでいる。見ただけで、つまり音声にせずに、心の中でも声にせずに、意味を取っているらしい。
後輩は、この講演の中で、ちょっとだけ訓練をしたらしい。めちゃくちゃ目が疲れたと言っていた。脳の視覚を司るところも疲れているはず。
どうやったら見る力だけで意味をとれるか、そこまでは講演に出てないからオレはわからないけど、なんとなくなるほどと思った後輩の話だった。
速読術の講演があったのだと。
人は文章を読むとき、心の中で自分の声に出して読んでいる。オレもそう。頭の中では音になってる。その音で意味を取っている。
それでは速読はできないんだと。
速読って不思議だと思ってた。けど、これ聞いて、フムフム、という感じはした。言葉の意味を取るのって、原始時代は文字がないから、音声になる。獲物を見つけたときの叫び声とか、災害にあいそうなときの警告の声とか、もろもろ、コミュニケーションを取る時は、文字じゃなくて音、声だ。
だから、現代の人間も、本を読むとき、一旦、心の声として、頭の中で音で鳴らして、それを音声をつかさどる脳の部位を働かせて意味を取っているのだろう。
これだと、通常の会話の速さが読む速さということだ。一般人はそうだろう。オレもそんな感じだ。
でも、速読術をマスターした人は違うようだ。見る力によって読んでいる。見ただけで、つまり音声にせずに、心の中でも声にせずに、意味を取っているらしい。
後輩は、この講演の中で、ちょっとだけ訓練をしたらしい。めちゃくちゃ目が疲れたと言っていた。脳の視覚を司るところも疲れているはず。
どうやったら見る力だけで意味をとれるか、そこまでは講演に出てないからオレはわからないけど、なんとなくなるほどと思った後輩の話だった。
by exsaito5
| 2009-09-16 19:14
| 雑記